大江 孝平
- 生年月日
- 昭和60年9月2日
- 出身
- 大阪府吹田市
- 資格
- 理学療法士 FTPマットピラティスインストラクター
- 趣味
- 旅行(特に沖縄、ディズニーランド) 高校野球観戦
- 家族構成
- 妻と娘3人
まず簡単に自己紹介をお願いします
こんにちは、神戸市岡本にありますO脚矯正専門家の大江孝平です。
今までは病院で10年間、延べ3万人以上の方々を診させて頂いて来ました。
現在は神戸市で毎日毎日、O脚で悩む方々と対峙しています。
O脚で悩んでおられる方としては
・育ち盛りの中高生
・オシャレに目覚め始めた大学生
・スポーツのパフォーマンス低下で悩む学生
・自己流でトレーニングをしたけど一向に変わらない20代の女性
・産後、体形の変化に悩む30代のお母さん
・まだまだオシャレを楽しみたい40代の女性
・将来、膝が悪くならないかを気にしている50代の女性
・膝が痛くなり始めた60代の女性
と、色んな状況の方々と日々関わらせて頂いています。
そこでは
「ホントに治ると思ってなかったです」
「私よりも母親が私の脚を気にしていました。母親がすごく感動しています」
「毎日スクワットを何百回もしていたのに…」
というお声を頂いています。
最近はテレビやラジオにも取り上げて頂いたんでしょうか?
そうですね、テレビやラジオでも取り上げて頂けるようにもなりました。
ですが、何を隠そう、自分自身がO脚で毎日悩む日々を送っていました。
自分自身が病院で務める理学療法士(リハビリのお仕事)なのに、自分の身体すら治せない、もちろん膝の悪い高齢者には何も太刀打ちができず、毎日毎日、色んな本やDVDを買いあさっては溜息ばかりついている、そんな日々でした。
なぜ、O脚専門の整体院をされているのでしょうか?
そもそもなぜ私がO脚専門の整体院を始めようかというと、こんなにも世の中でO脚で悩む人がいるのになぜO脚専門の整体院が無いのか?という想いからでした。
私は幼いころから酷いO脚で両膝の間には握り拳が1個以上空くほどの脚でした。
オマケに姿勢も悪く、異常なまでに腰を反ってしまい学生時代のあだ名は「プリケツ」でした。
オシャレに目覚め始めた時期になってもパンツは似合わないし、人前で短パンなんてはけない。
そして理学療法士になってからも昼休みにストレッチや筋トレ、仕事の後にはスタジオにトレーニングに足しげく通う日々。
それでもO脚で悩む高齢者には全く対応できませんでした。
「私、膝が痛くて治らないし手術します」
患者さんからそう告げられると自分の無力さを感じました。
そんな時、いつもながらネットサーフィンをして凝りもせず色々な情報を見ていると、O脚を専門的に診られている、とある先生のサイトを見つけました。
当時の私は色んなセミナーや勉強をするために病院以外のバイトも3つ掛け持ちしていました。
お金のなかった私はどうしてもその先生のセミナーに行くために、妻から借金をしてセミナーに通うことにしたのです。
そして、自分自身も施術を受けた結果、あれだけびくともしなかった自分の脚がみるみる変わっていったのです。
その時の衝撃は今でも忘れられません。
「これしかない。この技があれば多くの人を救うことができる」
そう思ったのです。
しかし、保険治療で厳密なルールがある病院のリハビリでは、なかなか受け入れられなかったのです。
そこで、私は決めました。
「それなら自分が思うように自分のお店を開く為に独立をするしかない」
そう思ったのでした。
実際に病院勤務から独立して、苦労などはなかったのですか?
最初は色々と言われたりもしましたよ。
「ホンマにO脚なんか治るの?」
「骨が曲がっているんだから治るわけない」
「そもそも、そんなこといちいち気にしている人いてるか?」
との声も多数あり、O脚で悩む人の気持ちが分かる私は
「ホントにこれが受け入れらるのか?」
と、自問自答を繰り返すようになっていました。
しかし、そんな時、長年O脚で悩む20代の女性Aさんが来られました。
Aさん本人はもちろん、Aさんのお母さんも娘さんの脚を昔から気にされていました。
「O脚専門のお店なんて見たことなかったです」
そう告げられました。
そして来られるたびに、改善されていくAさんは
「私もですけど、お母さんが私の脚を見て感動してます」
「スカート、、穿いてみます」
そう、仰られたのです。
「やっぱり自分の信じてきたことは間違いなかった」
このまま、悩める人々を救っていこう。
徐々に自分の施術が受け入れられて、お客さんも順調に増えてきましたが、その中で施術した脚がまた戻ってきてしまう方も出てきたのです。
なるほど、その後はすんなりと今までこられたのですか?
いえ、私も忙しい日々を送る中で脚が重たい、身体が重たい、すぐに脚が疲れてしまう、といった症状を感じるようになったのです。
脚の形が変わってきても、もっと身体の内面からきちんと向き合わないといけない。と、そう思うようになっていました。
そんな時、いつものようにスマートフォンでネットをポチポチしていると東京の新宿で整体院をされている青木さんに出会ったのです。
「どうしよっかなぁ、東京かぁ、毎月交通費と宿泊費もかかるなぁ」と思いましたね。
しかし、悩めるO脚の方々を救うために
「行かない」
という選択肢は私の頭にはなかったのです。
「動かない限り、何も変わらない」
これまでとにかく行動に移してきた私にとっては、
「同じ日本だし、近いでしょ」
そんな考えでした。
そこで、一から身体の使い方やトレーニングの方法、普段からの立ち方や歩き方を学び始めました。
普段の自分の思考の癖や考え方が身体の使い方に繋がっていることに気付いたのでした。
そうすると自分自身の身体も以前に比べ格段にレベルが上がってきたのです。
自分の身体を自分自身が全く客観的に感じることができずにいました。
それは自分で悩んでいるだけでは決して気付けないようなものでしたね。
それもあって、現在は施術や身体の使い方、トレーニングを取り入れたO脚矯正メソッドを作り上げることができました。
では最後に、これを見られている方へ一言お願いいたします
O脚を治すっていうのは、形さえ整えばいいわけではなく、その方の人生を左右することも可能だと思っています。
「手術をしなくて済む」
「スカートを穿けるようになる」
「自分自身の身体の使い方に気付いて一生健康な身体を手に入れることができる」
たかがO脚、されどO脚です。
「動かないと、何も変わらない」
これからもO脚で悩む人の為に動き続けていきたいと、思っています。
お電話ありがとうございます、
studio0(スタジオゼロ)でございます。